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嘉納柔道と地方に広がっていった柔道畳との違い。

大変、多くのことがわかってきました。その一つをご紹介します。

★★★★「柔道のために拘った柔道の畳糸。たかが糸、されど糸。」地方に伝わった柔道畳ではまったく見られないもの。★★★★

 嘉納治五郎師範が柔道創設時代より柔道の為に畳を開発を行っていることがわかり、素材、製法、クッション性など細部に渡って研究をされていたことが判明しました。2008年講道館資料室より新たに見つかった柔道創設時代の柔道畳を嘉納治五郎師範と共に柔道畳を開発を行った研究者との内容には、畳表(たたみおもて・ござ)の経糸(たて糸)を信州長野の美麻村のおお麻糸でなければならないということが書き記されています。
このおお麻糸は東京都や講道館に関係する柔道場にしかないものでした。これは、見よう見真似で広がっていった地方の柔道畳を作っていたとする職人にはまったく使われていませんでした。

他の地域の柔道畳ではこの素材を手に入れることはありませんでした。

これにまつわる話しは信州の糸作りの産地を訪れ、60年前になくなってしまったおお麻糸を復元作業をしていく上で代々糸作りを行っていた地元の方の興味深い話がたくさん出てきます。おお麻の畳経糸は柔道にとって非常に意味があり、柔道創設時代 永昌寺に建てられた講道館の柔道場に敷かれていた畳の畳表(ござ)の経糸(たていと)が弱く、直ぐに破れていたことが判明しました。これに困っていた嘉納治五郎師範と門下生は天皇家・皇族専属の畳職人と出会うことにより研究開発により取り組んでいきます。その一つに畳表の経糸を信州美麻のおお麻糸へ特別に変更し、製法や細部に渡って研究を加えることで畳が柔道に使えるようになります。更には理想の柔道の為に開発が進んでいった非常に大事な一幕といえるのでしょう。
他から聞けば「たかが糸。されど糸」ですが、当時の嘉納治五郎師範の柔道にとっての生命線だったのかもしれません。これは講道館の専属だった畳職人だけが最後まで拘り続け、他には一切見られなかったことでした。

地方の職人へは畳表の経糸を信州美麻のおお麻にするという考えはまったく伝わらず、嘉納治五郎師範の熱意と研究開発にあたる開発者でなければ守り続けなかったのでしょう。

更には地方の柔道畳では、クッション性も異なり重く、硬く、各地の職人が思い思いの畳に作っていった為に、柔道家の怪我人も増えて柔道から柔道畳は使われなくなっていきました。現代ではビニール・プラスティックなどの製品になりました。

こうした様々なことから地方に広がった柔道畳と嘉納柔道の畳とは大きな隔たりがあったことが当時の様々な関係者や文献などによって判明しつつあります。復元しなければわからなかった様々な研究を当時の産地の方々を含めて全国の関係していた方々や子供たちの協力のもと取組んでいます。

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